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1986年10月6日24時、六軒島爆発事故発生。
1986年10月*日**時、六軒島の離れ屋敷「九羽鳥庵」にて右代宮絵羽が発見され、その後右代宮絵羽が右代宮家の家督を相続。ただ一人親族会議に参加していなかった右代宮縁寿を引き取る。
その後、右代宮絵羽は危機失踪が成立するまでの間、経済的に困窮していた。
おそらくは、ただ一人生き残ったために世間から「すべての黒幕は右代宮絵羽」という疑いをかけられ続けた事も原因のひとつだったのだと思う。
右代宮絵羽は、そうした報道に対し何のリアクションも起こさなかった。
1987年4月、右代宮絵羽により、九羽鳥庵にあった蔵書が大量に競売にかけられる。その際、右代宮金蔵が集めたとされる、貴重なオカルト的書籍も多数見られている。
この一件により、Rokkenjimaの名は全世界へ知れ渡り、オカルト的な「魔女の島」
として見られるようになる。
しかしこの頃は、大規模掲示板ではオカルトトピックにスレッドが立てられる程度の知名度であり、オカルトマニア以外でRokkenjimaをオカルト的にみる者はいなかった。
単なる未解決事件の1つに過ぎなかったのだ。
問題は、198*年、六軒島付近の島にいた漁師がボトルメールを発見した事にある。
とはいえ、ボトルメールには「右代宮絵羽が殺されている」描写があるため、事実がそのまま書かれているわけではない事は明白だった。
そして、もう1通のボトルメールが、六軒島で発見されていた事が発覚する。
馬鹿馬鹿しい話だが、そこには魔女ベアトリーチェが存在し、魔法によって在島者が皆殺しにされた……と「とられる」内容が書かれていた。
「とられる」と表現した理由は後述する。
複数のボトルメールが発見された事から、その後「偽書」、つまり「うちにもボトルメールがあった!」という贋物のボトルメールが書かれ、その後インターネットの普及と共に、広く世間に公表されるようになったのだ。
……この辺りの情報は、伊藤幾九郎〇五七六(以下、伊藤幾九郎とする)と名乗る人物の偽書にも触れられていたし、ウィッチハンターたちの間では基礎的なものだ。
伊藤幾九郎は偽書作家の一人だったが、彼(性別がわからないので、彼としておく)がネットに公表していた偽書の内容は非常に精度が高く、かつて勤めていた使用人がインタビューで「内部に詳しい者が書いたものに違いない」と証言している。
……もっとも、「自称」元使用人かもしれないし、インタビューを組んだ記者のでっちあげの可能性だってある。
それと同時に、伊藤幾九郎は2通のボトルメールを書いて流した張本人かもしれないし、実は右
代宮絵羽だったりするのかもしれない。
想像は自由だ。だが偽書は、もちろん事実などではない。
書いていて新たなアイデアが出たら、昔の記事も普通に修正しますのでよろしくお願いいたします。